2013-01-26 03:36 | カテゴリ:思想

前回の記事では

学校とか時間の無駄だった

という記事を書いたわけですけど

じゃあ自分がこれまで生きてきて尊敬に値するものってなに?

というのを書いていこうと思います。


【前回の記事はこちら】

学校って必要か?


やっぱり一番は親でしょう。

こればかりは、はずせません。

なにが尊敬に値するのかといえば

こんな馬鹿な男をここまで育ててきた

こともそうなんですけど、親の人生を考えたら

よくやったと思いますよ。


特に父親なんですけど、自分は父親の子供ですから

父親の血を受け継いでいるので

父親がどういう人なのかはなんとなくわかっていたりします。


でさぁ、父親と自分が似ているのだとしたのなら

父親が一時期出稼ぎに出ていたんですよね。

当時はバブル時期でしたから、出稼ぎにいって

お金が腐るほど振ってきたみたいなことをいっていましたけど

それでも、出稼ぎに行くという行為は父親には大変苦痛だったと思います。


オヤジはいっていましたよ。

出張して、なんども迷子になったって・・・。

自分も極度の方向音痴で、かなりやばかったりするわけで

そんな感じのオヤジが見知らぬ土地に働きにいったというのは

とてもすごいことだと思いました。

でも、そうするしかなかったわけですよ。

子供がいたというか、自分がいたからですね。

だから親は偉大だと思います。

今度親に10万やっておきます。


で、これもうちょっと書かせてもらいますけど

若い人は親孝行は別にしなくていい

と思います。

自分も、今でも親と喧嘩みたいなことをして

親に腹がたったりすることもあります。

だから、他の人も親と仲が悪いという人もいると思いますし

絶対そういう家族間での喧嘩というのはあると思います。


だから、若いうちは無理して親孝行しなくてもいいと思います。

なぜなら、親は死にはしないでしょ。

若いのなら、まだ親もそれなりの若さでしょうから

焦る必要はないと思います。


でも、年を重ねたのなら

それだけ親の死が近くなるわけです。

それを考えたら、ある程度年齢が上の人は

親孝行をしないと手遅れになる

ことになります。


これは、一発勝負ですよ。

親が死んでから、親孝行をするとかできませんよ。

親が死ぬ前にしか、親孝行はできないわけです。


交通事故みたいなものですよ。

交通事故にあってから、車に気をつけても遅いわけです。

交通事故にあったら、死んじゃうこともあるわけで

たしかに軽い怪我ですむのなら、チャンスはありますけど

そういう一発勝負みたいなものなんですよ。


だから、親孝行というのは親がいなくなったら無理ですし

交通事故みたいなものも、事故にあってあの世にいったら

交通事故に注意するっていうのも無理な話なわけです。


人間たいていのことは

ミスをしても再びチャンスがくる

ようになっています。

でも、一度やってしまったら、もう取り返しがつかないこともあるわけで

それこそ本当に怖いことなんですよ。


たしかに親が他界することや

交通事故にあったりするのは

滅多にないことだと思います。

でも滅多にないことですが、一度やってしまうと

もうどうにもできないわけで

親孝行というのは、そろそろやっていかないと

自分的に一生後悔するみたいな感じなんで

そこらへんはまぁ今後がんばっていきたいです。


で、親を尊敬しているっていうのはこんな感じで

じゃあ、他にだれを尊敬しているのかといえば・・・

まぁ自分に関わった人とか

そりゃー、大切ですよね。

これはみんな共通していると思います。

自分と基本他の人って価値観が違うと思いますが

友人を大切にする

って人は多いのでは?


これさぁ、うちの姉がそうだったんですよ。

おもしろいことに、家族よりも友達を信用するっていうのが姉でした。

だから、まぁひどいことになってしまいましたけど

家族はぼろぼろになりましたけど、別にそれを

根に持っているのは自分だけ

みたいなので、やっぱりそういう点でも自分の親はいい人だと思いますよ。


話をもどして、友人を大切にするっていうのは

なんかよくわかりませんが、そういう人ってよくいますよね。

たしかに自分に優しくしてくれる人は大事です。

そういう人は大切にしましょう。

自分は悲しいことに、そういう友人を結構ないがしろにしたために

いまのところ友人が0になっている感じです。

いや、まじで。

もちろん連絡とか取れる友人はいるんですけど

遠くの友人ですし、別にこれといって話すこともないというか

「こっちに来たらメシでもいくべー」

しか話題がないので、そういう点では身近な友人を大事にすべきでしょうね。

これはまぁあれだ。

たしかにこういうのももっと早く気づくべきでした。

友人って別にいなくなっても、またすぐできるものだと思っていたというか

友人の価値っていうの?そういうのを自分は軽視しすぎました。

まぁたしかに自分によくしてくれた友人に

もっといろいろ尽くしてやればよかったなぁ

と思ったりしますけど、その当時の自分は若かったし

うらまれていなければいいと思っています。


でも、なんで若い人って

家族より友人を重視する

人が多いんでしょうね。それも学校のせいだと思いますよ。

なぜなら学校って、家族は無力なんですよ。

学校の中で家族は無力でしょ。

学校の中で助けてくれる存在は友人でしかないわけで

学校ですごす時間が長くなれば

そりゃー友人を重視する人が多くなるわけで

ほんと学校って有害な施設だわー。

ま、友人を大切にするっていうのはいいことだと思いますけど

学校のせいで、家族をないがしろにする人が増えるのなら

それはどうかと思いますねぇ。


で、他に尊敬に値する人というのは

まぁあとはてきとうなんですけど

がんばっている人

でしょうかね。

最近の世の中は

みんな楽をしようとしている

わけで、そういう思想をみせられると

こちらも楽したくなりますし、がんばる気力がなくなります。


でも、今の世の中って地味に努力が認められる世の中なわけで

まぁ学校ではほとんど運ですよ。

なぜなら、学校では評価する教師というがクズというか

見る目がないからですよ。

どんなに努力しても、その努力を教師が察することはないというか

教師もたんなる素人ですよ。

素人がそんなするどい目を持てというほうが無理なわけで

なんか運要素が強くなっちゃうんですよね。

スポーツとかも、努力というより才能じゃん。

たしかにある程度努力で上にはいけますが

それ以上に才能がある人がうえにいく世の中なんですよね。

学校って・・・。

まぁそういう点で、やっぱり学校って有害というか

学校のせいで、みんな楽しようとするようになるんじゃないかと思ったり・・・。


話をもどして、今の時代

がんばる人は貴重

だと思います。

あぁ、テレビでがんばっているみたいな感じの人は

あんなのはぜんぜんだめですよ。

きどっているだけですから。


自分の目でがんばっているのを目撃したときだけ

その人を評価します。


つまり、自分はその人ががんばっているのを

この目で目撃していないのなら

どんなにすごい人でも評価しません。


だから、どんなにスポーツ選手がすごい記録をだしても

その人のいろいろながんばっている姿をみていないのなら

そういう人は評価しなかったりします。


だから、自分が評価する人ってほとんどいないですよ。

がんばっている人はいるのでしょうけど

自分の目には飛び込んできませんからね・・・。

そういう点で、自分自身毎日がんばっていたりすると

自分を誇り高く思ったりして

こんな変な性格になったりするのかもしれませんね。


でもさぁ、やっぱり

まだまだ運が重視の世の中

だと思いますよ。

自分がメイプルストーリーを嫌ったのは

この「がんばる」というのがあまりにも軽視されていたからです。

みんなどうやって楽をしようか考えているというか

みんな楽して上にいこうとするっていうの?

そういう人ばかりで、なんか人間として駄目になってしまいそうで

自分自身怖かったというか

なんかそんなふうに自分もなっていたわけで

自分自身に嫌気がさしたっていうかな・・・。

そんな感じです。

まぁゲームなんて、どうやって効率をだすかを楽しむものでしょうから

しょうがないことだと思うんですが

いくらなんでも限度ってものがあったと思いますしね。


だから、まぁそんなところかな。

まとめると、尊敬に値するのは

・親

・自分によくしてくれた友人

・がんばっている人(自分がこの目で確認)


この3つかな。


一番悔しいのは

がんばっているのに評価されないこと

っていうの?

自分もがんばっていたのに評価されなかったこととかたくさんあります。

いまでもそうですよ。

がんばっているのに、成果がでなかったりすることはあります。

でも、それは自分だけではないというのがわかるというか

他にもがんばっているのに評価されていない人がいるわけです。

でもそういう人は

文句ひとついわずにがんばり続けている

というか、がんばっていると思っていないというかな・・・

「がんばっているのに評価されない」と嘆いたりしない

わけですよ。

そんな人がいるのなら、こちとらそんな少しがんばったぐらいで

文句を垂れるのも格好悪いですよね。

そういう点で、がんばっている人は

まったく関わりがない人でも、自分の支えになってくれたりしています。


基本

「がんばっているのに、ぜんぜんうまくいかない」

と嘆く人は、がんばりが足りないのだと思います。

特にこういうサイト作成でよく思うんですが

もしサイトがうまく回らないのなら

自分以上にがんばってはじめて、そういう不満をいうことができると思います。


1日1記事毎日更新で不満をいうのはおかしいと思います。

1日2記事毎日更新で不満をいうのも微妙なところではないでしょうか。

だって、現にそういう人がいるかもしれないじゃないですか。

実際毎日更新している人なんて結構な数いるのでは?


たしかにぜんぜん更新していないのに

やたら訪問者が多い人もいますから

そういう人と比べたら、がんばっていると思います。

でも、下をみて自分ががんばっているというのは格好悪いと思います。

自分よりがんばっている人がいるのなら

嘆くことはできないと思うんですよね。

まぁ、別に嘆いてもいいんですけど。

そういうことを思いますね。




やる気なやる夫




人間たしかに才能っていうの?

運の要素っていうの?そういうのはありますよ。


どんなに自分ががんばっても

超人気ブロガーみたいな人には

どうやっても訪問者がそのブログより多くなることはないかもしれません。


でも、それなりにがんばれば

そこまですごいところまでたどり着けないとしても

ある程度のところまではいけるわけですし

認めてくれる人だってでてくるわけですよね。


だから最近は

結果がでないのならそれは自分のがんばりが足りないから

だと思うようになりました。

そして実際のところ

まだまだがんばれただろ?

と、自分自身もっとがんばることができたと思ったりしているので

なんかそんなものだと思います。


たしかに

楽して成功している人をみるとがんばるのが馬鹿らしくなる

のはわかります。

でも、そんな楽して成功している人は

自分は認めません!

だから、どうしたって感じですけど

自分はやっぱりがんばっている人を尊敬しますし

そんな感じです。


まぁ他の人はどうしても

がんばっている人より、成功者を尊敬する

ようですけど、別にそれが悪いとは思いませんが

自分は才能や運よりも、やっぱりがんばった人を評価したいですね。

それゆえに、最近は本当に人を評価することって少なくなりました。


またメイプルブログの話題にもどりますけど

当時自分がメイプルブログをやっていたときって

自分よりブログの更新をがんばっていた人っていなかったと思います。

なんつーか、そういうところありますよね。

自分のブログは優れているといっている人に限って

更新しないというか

「記事の質がー、キジノシツガー」

って言っている人っていうの?

でも、そういう人を評価するのがメイプル民だったわけで

そりゃー、なんかもう、あれだ。

でも、なんだかんだでそういうことを知れたのも

メイプルストーリーのおかげだったのかもしれません。

自分も当時は、結構そのおかげで楽していたところもあったと思いますから。

自分もメイプルブログというジャンルでは

楽していたというか、運があった一人だったと思いますね。

いや、がんばっていたので、なるようにしてなったともいえるのかもしれませんが

なんか思うんですけど、評価されない可能性も十分あったと思います。

なぜならなんどもいっていますけど

メイプル民からしたら

「記事の質がー、キジノシツガー」

って人を評価するわけで、よく更新する人は

あまり評価されなかったりするんですよねぇ。